Mokison Drum Schoolのポスターとチラシが完成しました♪

Mokison Drum Schoolのポスターとチラシが完成しました♪

キーボーディストの長野さんにデザインをお願いしていたMokison Drum Schoolのポスターとチラシが完成しました♪

キャッチコピー等のアイデアは生徒の皆様からアドバイスを頂き、「Mokison Drum Schoolらしさ」が溢れた素晴らしい作品に仕上がったと思います。

今回のチラシやポスターの作成に至った経緯としましては昨年の「影丸&響ドラムクリニックin姫路」の成功がございます。

姫路という地域は田舎ということもありまして「縦社会」「年功序列」「先輩後輩」の文化が色濃く残る地域柄でも有り、私もまだまだ若手の部類に入る年齢でございます。

こういったポスターやチラシを作る上で、先輩方に対して敬意を表しつつ、自分がこの姫路という地域に対して、きちんした形でしっかりと地域貢献してからこういったPRポスターを作らなければ上の方々に筋が通らない、仁義を通せないという思いがありまして、何年も前からベータミュージック姫路東店のヒロさんからも「チラシを作って宣伝したら?」と言って頂いていたのですが今まで頑なに作りませんでした。

レッスン会場に関しましてもベータミュージックさんは本町店、姫路南店、姫路東店の3店舗がございますが、私は2つの理由がありまして姫路東店でのみレッスンを行うようにしております。

1つは他の同業者(ドラム教室)や一般の利用者(バンドマン)の方々に迷惑をかけないためです。

ベータミュージック各店舗のスタジオを使用してドラム教室をされている方は私を含めて少なくとも5名以上居られるのですが、生徒数的なこともありましてご存知のように姫路東店のFスタジオの予約のほとんどが私のドラムレッスンで埋まってしまっている状態です。

つまり、私のレッスンで埋まっている日は他の一般の利用者の方や他のドラム教室の方は姫路東店のFスタジオを使用することが出来ないわけですが、本町店や姫路南店などの他店舗を拠点として利用されるなどしてドラム教室同士の予約がバッティングしないように自然と「棲み分け」が出来ている経緯があります。

他のドラム教室さんや一般のバンドマンさん達のことを考えずに自分の商売だけを優先してレッスン会場を増やせば姫路南店や本町店の近くにお住まいの新規のお客様を獲得することも出来るでしょうが私はそういう事はしません。

私は自分だけが儲かれば良いという感覚でドラム教室をやっているわけではなく、子供の頃からずっとこの姫路という地で育てて貰った恩と自分がドラム講師になる前からベータミュージックさんを拠点としてご活躍されていた先輩方に対するリスペクトを持った上で助け合い、譲り合いの気持ちで、ルールを守って、他のドラム教室の先輩方と共存させて頂いております。

ここまでが姫路東店でしかドラムレッスンをしない理由の1つです。

姫路東店でしかドラムレッスンをしないもう1つの理由として、姫路東店に大先輩であるヒロさんが居られるということがあります。

ヒロさんは知る人ぞ知る伝説のビジュアル系バンド、マスケラのベーシストでございます。

ヒロさんとは私が高校生だった頃からのお付き合いで、ヒロさんのバンドのイベントに呼んでいただいたり、イベントの打ち上げの後に駅まで車で送って頂いたりと本当に子供の頃から可愛がって頂きました。

私とヒロさんの間でそういった過去のストーリーがありまして、私がサイタのドラム講師に採用されて姫路でドラムレッスンを始めるとなった時に、やはり競合相手が増えるというのは同業の方々からは食い扶持が減る可能性があるわけでして、そういった経緯から当時はあまり良くは思ってもらえてなかったと思いますし、そういうのを肌で感じる瞬間もありましたが、ヒロさんだけはそんな私を温かく迎え入れて「選ぶのは生徒さんやから(他のドラムの先生に遠慮してないで)自信持ってやったらええ!」と言ってくださいました。

あの時、ヒロさんが背中を押してくれて、スタジオの予約の取り方であったり、色々とアドバイスをしてくれたから今の私があると思っています。

その時の感謝と恩返しの気持ちがあるので私はヒロさんの居るベータ姫路東店以外で姫路のレッスンをやらないようにしています。

師匠である菅沼孝三は生前、私の事を「正義感の強い、仁義の男」とマネージャーさんにずっとニコニコしながら嬉しそうに言ってくださっていたそうです。

影丸くんも師匠と同じく私の事を「お金儲けや売名目的ではなく、敬意と仁義、師匠への愛で動く男」と評価し、信頼してくれてたからこそ去年の追悼イベントを快く引き受けて下さいました。

私は大義名分やストーリー性の無い、単なるお金儲けや売名目的でのイベントやアクションはやらないようにしています。

そんな動機では私の事を見てくれている人や応援してくれている人に何の感動も与える事が出来ないと私は思うからです。

私と師匠との過去のストーリーがあって菅沼孝三ドラムセミナーを企画し、

それが叶わなくなり、師匠の最期を悟り、泣き崩れる私を影丸君が支えて手数王応援プロジェクトが生まれて、

手数王応援プロジェクトからの影丸&響ドラムクリニックが誕生して…

全ては理由があって、それをやるべき大義名分があったからこそ生まれたものなんです。

手数王応援プロジェクトの時に、発起人の私に対し「売名目的」という批判の声が出なかったのはそれを行うに至った確固たる動機とその行動の原動力に愚直なまでの師匠への愛があったからなんです。

影丸&響ドラムクリニックに関しても、前に「出る」ところ「引っ込む」ところのさじ加減の基準を明確にした上で主催者としてイベントに携わらせて頂きました。

このイベントの主役は「影丸君と響さん」であり「この日を2人にとって忘れられない最高の1日にしてあげたい!」という純粋な思いだけで行動しておりました。

姫路というローカルな地でのイベント開催であったり、東京のイベントと開催日が近かったこともあって、実はチケットの売上が思うように伸びなかった時期がありまして、せっかく2人に来てもらうのに客席がガラガラだと2人に会わせる顔がないと困った私は、ピエロと周りに笑われようが2人のイベントを良い形で成功させるために慣れない動画撮影をして、手作りのPR動画を作ったりと2人に喜んでもらうためにイベント当日までの期間の宣伝活動を必死でやりました。

その宣伝活動もあって、皆様ご存知のように影丸&響ドラムクリニックは姫路、東京共にドラムクリニックとしては前例の無い驚異的な動員数を記録する事が出来ました。

逆にイベント当日の私は、イベントまでの露出の量とは打って変わって、2人に頼まれたイベント冒頭の舞台挨拶以外では一切ステージに上がらず、「2人の舞台」を汚さぬよう裏方に徹しました。

私が誰よりもあの2人のファンだったからこそ、ファンがあの日求めているものを誰よりも理解していたからです。

あのイベントの目的が自分の売名目的であったなら、もっと2人に自分が絡んでいくようなイベントの内容に主催者権限で変更して自分をお客様の前に露出させる虎の意を借りた便乗商法で自分の名前と顔を売る事が出来たでしょう。

しかし、私はそんなことはしないし、これからもそういったやり方は死んでもやらないでしょう。

私は今も昔もずっと不器用な人間です。

お人よしで損をすることも多い性格ですが、孝三先生や影丸くんが愛し、信頼してくれたこの性格を貫き、今後開催されるイベントも、楽しみにして下さっている方々に感動を与えられるような「ストーリー性のある」イベントを皆様と共に作っていきたいと思いますのでチラシの話から脱線しましたが、今後も「仁義の男、八田頼樹」を宜しくお願い致します🙇

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