姫路のドラム教室Mokison Drum School講師の八田です。
昨日は年内最後のベータミュージック姫路東店さんでのレッスンでした。
皆さん、思い思いの叩き納めをされていたのが印象的でした。
みしょうさんのハイハットのダブルストローク凄かったな…楽器未経験の初心者の状態から僅か1年であんな綺麗な演奏が出来るのはまさに芸術。
1月4日のレコーディングがとても楽しみです。
山下くんもメキメキと上達されていて、今は音楽とは無関係なお仕事をしながらも、いずれはプロを目指すんだという覚悟がひしひしと伝わりました。
まーりもーさんも、仕事と育児で満足な練習が出来ていないと謙遜しつつもしっかりと1回1回のレッスンで成長を見せてくれてます。
いつも自己評価が辛辣なのですが昨日は「あ、私わりと可愛い?かも。盛れてる。」と自分自身のことをはじめて肯定されていてレッスンを通して自分自身に対する心境の変化が起きてることを嬉しく思いました。
子供の頃の私もコンプレックスの塊でした。
自分のことが嫌いでしょうがなかったけど、ドラムを叩いている時の自分だけは別の自分になれてるようで、コンプレックスを忘れられる唯一の瞬間でした。
だから生徒の皆さんにも、たとえ普段の自分を好きになれなかったとしてもドラムをやっている時の自分の事だけは好きであって欲しい。
ドラマーである自分のことだけは誇りに思って欲しいと強く願います。
一度きりの人生だからこそ、1日1日をネガティヴに過ごすより、「私イケてるじゃん!今日も最高!」って思って生きてもらいたいですよね。
知ってる人も多いかと思いますが、私は中学の時に音楽の先生(女性)から陰湿な虐待を数年に渡り受けていました。
小学生の頃から少林寺拳法をやっていた私は元々、音楽はドラムではなくテナーサックスを吹いていました。(ウッチャンナンチャンのナンちゃんがTV番組でサックスを吹いてた頃ですね)
少林寺拳法を続けたかった私は、中学に入ると運動部ではなくテナーサックスが吹けるという理由で吹奏楽部に入りました。
そして、中学2年の時に少林寺の練習中に肋骨を追ってしまいサックスが吹けなくなってパーカッションに変更になりました。
その事態を快く思わなかった某女性音楽教師から毎日陰湿なイジメを受けるようになりました。
毎日のように部員全員の前で「この先輩は才能無いからこの子の言うこと聞かんでええから!」と指を指されて笑いものにされ、ジャスコ(イオン)や農協(JA)で演奏会があれば「あんたは才能無いんやから手ぶらで立っとけ!」とみんなが楽器を与えられて雛壇で演奏する中、最上段で楽器すら待たされず、演奏会が終わるまでひたすら立たされて晒し者にされた事もありました。
思春期の男の子にとってはとても屈辱で惨めな毎日でしたね。
中学時代の私にとって、
ドラムという楽器は座りたくても座らせてもらえない、
とても貴重なポジションでした。
今コンプライアンスが騒がれてますけど、私が子供の頃はそんなものは無くて、担任の先生に相談しても「あの先生はお父さんが警察だから…」と訳のわからん言い訳をされて、誰も助けてくれませんでした。苦笑
私にとっての音楽の原動力は「怒り」と「復讐」でした。
私は毎日、某女性音楽教師に馬鹿にされる日々を耐えながら水面下でナイフを研ぐように家でドラムの腕を磨きました。
そして、中学3年生の文化祭。
チャンスは来ました。
「才能のないアンタにも最後やから1曲だけドラム座らせたるわ」
とポルノグラフィティの「アゲハ蝶」を与えられました。
部活の場では満足な練習時間を与えられることはなく、某女性音楽教師も吹奏楽部の部員達も私が本番で失敗し、恥をかくと思っていたことでしょう。
しかし、現実は違いました。
秘密裏に家で猛特訓を重ねた私はYouTubeも無かったあの当時にぶっつけ本番でスティック回しをしながら演奏するというパフォーマンスで観客全員の度肝を抜き、会場を沸かせてアンコールを貰いました。
鳴り止まない拍手の嵐と某女性音楽教師の悔しそうな顔を今でも鮮明に覚えています。
正義が勝利した瞬間でした。
苦しかった中学時代を乗り越えた私は数年後、私の人生で唯一「先生」と呼べる存在である恩師、菅沼孝三先生に出会いました。
美化してるわけではなく孝三先生について語る時に「私の人生において、後にも先にも先生と呼べる存在はあなただけです」と語る真意はここにあります。
子供時代に私が某女性音楽教師から受けた傷が深ければ深いほど、私から発信される孝三先生への尊敬の思い、言葉は重さを増します。
中学時代、人として扱って貰えず、毎日ゴミのような扱いを受け続けて来た私を孝三先生は人として、いつもとても大切に可愛がって下さいました。
そんな某女性音楽教師に「才能が無い」と毎日馬鹿にされ続けた私は現在、日本のドラム業界を盛り上げる為にドラム講師の傍ら全国規模のドラムイベントも毎年開催しています。
はたから見れば私のことを「八田は凄い奴」、「奇抜なアイデアをドラム業界にぶつけて来る鬼才」と思ってくださってる人も居るのかも知れませんが全然大したことはないんです。
ただ…
誰よりも痛みを知り、あの頃の自分と同じような痛みや境遇を抱えてる人達にドラムという楽器を通じてこの生きにくい毎日を少しでも笑顔で過ごして貰いたい。
それだけなんです。
子供の時に受けたトラウマ体験というのは大人になっても根強く残っていて、今でもあの某女性音楽教師に虐待を受ける夢を見ます。
その度に、「私はあんな人間にはなりたくない。生徒に対して、常に優しくありたい。もしも、自分の生徒が言われのないことで私のような目に遭うことがあれば刺し違える覚悟で生徒を守る。」
そう自分に言い聞かせて今日までドラム教室をやってきました。
…という感じで今日はなかなかにジョナサンデイヴィスな私の幼少期をカミングアウトしてしまいましたが、これを話そうと思ったのも昨日ラストのレッスンがあきらくんのレッスンだったからかも知れません。
あきらくんは全くの未経験の状態でうちのドラムスクールに来てくれて中学に入ってからは吹奏楽部で副部長とパートリーダーを兼任されました。
不遇だった自分の中学時代を思い出し、
「あきらくんには自分みたいな惨めな思いをさせずに中学校での3年間を無事楽しく過ごせて貰えて良かった」
としみじみ思いました。
今から事務所での叩き納めレッスンですので
今日はこの辺で。
(明日も自宅でレコーディングしてますが…)
#姫路ドラム教室
#姫路ドラムレッスン
#姫路キッズドラムレッスン
#姫路ドラムスクール
#姫路ドラム教室子ども
#姫路ドラムスクール子ども
コメントを投稿するにはログインしてください。